呪われし旋律に血染めの眠りを

ある音楽家がいた。彼は気が狂っていた。 酷く冒涜的な言葉を発し、社会から隔絶されることを望み、海辺の誰も知らない洞窟に身を隠した。 彼は波の音を聴き、暗い感情を譜面に起こし、曲を作りあげていった。 暫くして、彼は死体となって発見された。 彼は自らの楽譜を、一枚残らず胃の中へ詰め込み、絶命していてた。 回収された楽譜は、専門家によって解析された。 それは決して一般に公開してはいけないものだった。

Fumi

11年前

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その旋律は呪いだった。 狂った男が作り出し、それでも残った理性で隠し通そうとした絶望だった。 奏でた者も、耳にした者も死に、更には楽譜を見ただけで発狂する者すらいた。 メロディ一つ一つに呪いが織り込まれているのだ。 あるものは楽譜を焼こうとしたがそれすら叶わない。切ることも破くこともできない。 まさに「呪い」だ。 専門家たちは、これを封印することに決めた。

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海の奥深く、楽譜は沈められることが決まった。彼が住んでいた洞窟から、厳重に封をされた楽譜たちが次々と波間に消えていく。 彼が毎日聴いていたであろう波の音が人々の耳に焼きついた。まるで彼の最期の叫びであるかのように。 それでも、ひとまず楽譜は封印された。 そうして長い長い月日が経った。人々は彼のことも楽譜のこともすっかり忘れてしまっていた。 そんなある日、海辺に住む少女が奇妙な旋律の歌を口にした。

lalalacco

11年前

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最初の一人は、少女の祖父だった。 今日は気分がいい、そう笑った病床の老人は、少女が歌を口ずさんだ瞬間、息を引き取った。 かわいそうに、心臓が悪かったからねぇ。 人々は、黒いベールの下で俯く少女を慰めた。 次の一人は、村の漁師だった。 昼飯に家に戻る途中で、急に倒れた。 頑丈な奴だったのに、何があるか分からないねぇ。 人々は首を振った。目の前の少女の家の窓辺で、カーテンが揺れていた。

ななめ

11年前

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歌声は細く、けれど確かに響く。 やがて、海辺の村の人々が少女を残して全滅した後、少女は自分の歌が死の原因であったことを悟った。 屍累々たる村を走り抜け、少女は家へ駆け戻った。そして、かつて砂浜で拾った楽譜を、袋の中に再び封じ込めた。 そして少女は、袋と重りを己の体に縛り付けると、崖から身を投げた。 水底深くゆらゆらと少女は沈み、楽譜は再び封じられたかに見えた。 そして、長い年月が過ぎた。

11年前

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海辺はかつての景色を失っていた。埋立地に建てられた発電所。かつての村の子孫たちはそこで働き、工業団地に帰っていく。 四角い箱が並んだ町。人々の目から、光は消えていた。 港にはタンカーが停泊していた。 発電所で働いていた男は、タンカーの積荷を倉庫に運びおわり家路につこうと発電所の門をくぐる。 薄汚れた服を着た外国人が男に話しかけてくる。何を言っているか解らない。 ……外国人は歌い始めた。

11年前

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男の顔がみるみる青冷めた。 白目を向き、口から泡を吹いて仰向けに倒れた。 次の瞬間には男は息を引き取っていた。 死体を見下ろす外国人の瞳は冷めきっていた。 やがて歌の続きを口ずさみ、その外国人はどことなく姿を消した。 「謎の奇病蔓延か」 新聞の見出しはその怪異をこう表現した。 大通りを埋め尽くさんばかりの人混みが一瞬にして屍の海と化す。 そこを踏み越えて彷徨い歩く死神の姿を、人は誰も知らなかった。

noname

11年前

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外国人はふらふらと出歩き、黒死の曲を歌い続ける。目的とするあてもなく、人の死を哀しむ心も失って。 かつて海辺の町に迷い込んだ音楽家の呪いの旋律は、時を越えて尚、死の鎌を無差別に振るい続けるのだった。時の音楽家は、パガニーニの如く悪魔に魅入られてしまっていたのだろうか。彼が魂を売り渡してしまったのは死神の方だったけれども。 その事実を知る人ももはやいない。その苦しみを鎮める人もいない。やがて、

aoto

11年前

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外国人が町外れに来た時、何かが彼めがけて駆けてきた。 勢いよくぶつかられ、痛みを感じる。見下ろすと腹にナイフの柄があった。 何かは少年だった。家族を奪われた復讐だと外国人は悟った。倒れながら呻くその声は少年には聞こえない。少年はろう者であった。 ポケットの中で音符を記したインクが血に溶けて流れる。 死の譜面は消えた。全てが終わったのだ。 少年はそれを知らず、ただ人を刺した怖ろしさに打ち震えた。

misato

11年前

- 完 -