六月末のある朝、海岸のゴミ拾いをしていた老婆が不審な大きなビニール袋を発見し通報してきた。 なまぬるい潮風、砂に足を取られながらブツの場所に急ぐ。青いビニールシートの中に入ると、鑑識かビニール袋を開けたところだった。鼻にツンとくる異臭。風呂掃除に使うような塩素系洗剤に似ている。取り出されたのはフランス人形。これは漂白剤か?人形の髪は脱色されていた。人形の洋服は所々破られ左脚が切り取られていた。
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素人目で見ても、最初は良い品物だったのだろう。それが、無残にも打ち捨てられている様は、酷く心を痛めた。 たかだか人形だ。しかし、その塩素の匂いの中でも誇り高く煌めく、アイスブルーの硝子の瞳。それが、私の心を引きつけてやまなかったのだった。 結局、気がつくと、それは私の手元に引き取られることになり、一先ず一人暮らしの居間に飾られることとなった。 だが、何とか元の状態に戻せないかーー私は思案し始めた。
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まず何とかするべきは、切り取られた左足と破れかぶれの真紅のドレス。それから体中の汚れを拭き取って、お揃いの紅薔薇の靴を揃えて…。 脱色された髪はどうしようか。 色を失った髪の房にまばらに残る、色褪せた黄色。元は見事なブロンドだったのだろう。 これだけの修復である。 腕のいい人形師を探さなければ。 とりあえず私は、人形を「ブルー」と呼ぶことにした。もちろん彼女の美しい瞳にちなんで。
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職業柄実にいろんな人に会ってきたが、残念なことに人形師はそのリストにはなかった。 私はふと一人の少女のことを思い出した。いやブルーを見たときから頭の片隅にあったのだ。 遠山ゲルトルート、父親がドイツ人で、私たちは小学校の五年生のとき、同じクラスだった。ブロンドだけでも田舎では珍しいのに、彼女は車椅子だった。担任から車椅子を押す係を頼まれた私は、訪れた彼女の部屋の壁一面に飾られたドールたちを見た。
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セルロイド製のドールを中心に、陶器製のビスクドールが二体。 悲哀を誘う流し目。優雅なフリル。ただ一つだけの表情。 「送って下さってありがとう」 僅かに微笑む彼女は、ドールたちの中でいつになく生き生きと輝いて見えるのだった。 ドールたちは彼女のためだけに与えられたものなのだと思った。不自由な足、青い瞳、白い肌、綺麗なドレス。なんて耽美なのだろう。 ブルーの瞳は遠山ゲルトルートのそれと似ていた。
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いや、あまりにも類似し過ぎていた。 私は意図的にその事を考えないようにしていたのだ。彼女は良く言っていた。「自由に歩ける足が欲しい」と。また、こうも言っていた。「それが叶わぬのならば、何も考えず物言わぬ人形のようになりたい」と。 あなたはいいね。歩けてさ。 そう言ったときの彼女の瞳は未だに忘れることはできない。そして、人形について考え始めた日からだろうか。私は左足に違和感を感じるようになった。
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「本日未明、××山の麓にて全身を焼かれた遺体が発見されました。発見された状況から警察は自殺の可能性は低いとの見解を述べています。被害者の身元は不明で……」 テレビでのニュース報道だ。 ××山といえばこの人形が見つかった海岸の直ぐ近くの山だったはず。 背筋に悪寒が走る。何かしらの関係性が有るのではと疑ってしまった。 左足が疼く。 「……左足が無く現在も捜索中の模様。現場から中継が………」 左足?
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遠山ゲルトルートには左足がない。だから車椅子だった。 ――左足がない、焼死体。 あの日嗅いだ塩素の匂いが鼻の奥に濃く蘇った。 暗闇でも際立つ白い肌、薄く紅い唇、見開かれた青の瞳。あまりにも美しいそれは、人間のように見える。 キャスターは淡々と次の言葉を続けた。 「目撃者によりますと、遺体の近くで左足の無いフランス人形が発見された模様であり……」 部屋の隅の人形を振り返る。 左足に、激痛が走った。
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私の左足をあの人形がひきちぎろうとしていた。 私...が? 「わ、私は悪くない、ゲルトルートがさっさと人形を渡してくれないから、憎たらしくなって、同じ姿にしてやったのよ。あの女だって、勝手に車椅子から転んで頭を...私は人形が欲しかっただけ!」 ──── 「また、人が殺されましたね。犯人は証拠を消す為に塩素系洗剤を使った様で、そしてまた左足が無い。かわりに手に人形の足が握られていた...」
- 完 -