「午后七時三分、木星戦争が終結しました」 玄関扉を開けた時、イヤホンから流れていたラジオ番組が中断、「速報です」との前置きの後、男性キャスターが報じた。歴史的終戦と勝利、英雄達の帰還。「お前変わらんな」靴箱の横に立つ青年が言った。 「そっちは変わったの」 「何回か女とやったよ。あと、殺しが上手くなった」 半年前はおれと同い年だったくせにもう小学生流の笑い方を忘れたか、イソザキ。宇宙は成長を速める。
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イソザキは、武勇伝を語りながら酒を呑む。おれは今までなにをしていたんだろう。平和な地球で大学を卒業し、パソコンにはりついて眼精疲労と肩凝りに悩まされるだけの平凡な毎日だけ。 「変わらんな。つまらない相槌しか打てないところが」 目をギラギラさせるイソザキは、おれよりずっと大人に見えた。 「でも羨ましいな。平凡な日々に俺は戻れる気がしない」 イソザキは数日後、宿泊先のホテルで女を刺したらしい。
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事件の後、木星帰還兵であるイソザキは軍事病院の精神科に搬送された後、精神鑑定に回された。 診断結果は「PTSD」 それは心的外傷後ストレス障害というヤツで、帰還兵に多い精神障害だった。 幸いにもイソザキに刑事責任は問われず、数日入院した後、すぐに退院となった。 「なぁ…俺はこれから」 イソザキは疲れ果てた様子でおれの下にやって来た。ヤツれた彼は、最早おれの知る彼では無かった。
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「どうなるんだ。鳴り止まないんだよ、ユーノーの歌声が」 ユーノーの歌声。 それは木星連合側の、一種の音響兵器だと地球には伝えられた。 軍は警戒をし、防音措置を徹底していたが、聞いた者に影響は見られなかったため、歌声を気にする者はいなくなっていった。 戦場に響く美しい歌声。木星から送られてくる映像は異様であり、どこか幻想的だった。 つけたままのラジオからは、帰還兵による殺害事件が報じられていた。
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「なぁ、俺もいつか流されるのか」 「え」 イソザキの言う、流される、の意味がよく分からなかった。 「流されるってどういうこと」 「今のやつみたいにラジオとか新聞でいつか俺も誰かを殺したって名前を流されるんじゃねえかって思うんだよ」 そんなことを言うイソザキの椅子の肘掛けに肘をついてグラスを持った手は、ブルブルと震えていた。 「イソザキ、お前はもう誰も殺しやしないよ。もうそんな必要はないんだ」
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「たくさん殺した。あの歌声の中で。ユーノーの歌声を聴くと思い出すんだ、ひとをころすということを」 イソザキの手からグラスが滑り落ち、粉々に砕けた。 「ほら今も、ユーノーの歌声がラジオから流れてるじゃないか。ラジオを止めてくれ。早く。お前をころしたくない」 イソザキが震える指で差したラジオは、相変わらず淡々とした男性キャスターの声がニュースを伝えている。 「急に大人になりすぎたんだね、イソザキ」
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「くそっ、何でこんな…」 イソザキは苦しそうに呻くと震える手で自らの顔を覆った。 「俺たちは英雄じゃなかったのかよ…!」 か細い声が指の隙間から漏れた。 ラジオを消しておれはイソザキを家に送るため車に乗せた。グラス一杯の酒だったが、彼の憔悴は重度の中毒患者のようだった。 都会を抜けたあたりでイソザキがぽつりと呟いた。 「歌声が…止んだ」 おれが異変に気付いた瞬間、彼は泡を吹いて倒れこんだ。
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「おいっ!しっかりっ」床の上で激しく痙攣するイソザキを抱きかかえる。精悍だったその身体は今や骨と皮ばかりで、驚くほど軽い。白眼を向き暴れ続ける姿は、悪霊に取り憑かれたようだ。…深夜の2時。近くの病院。イソザキは痙攣の後で昏睡状態になり、意識が戻らない。彼が見た地獄とは。救い出す方法はあるのか。「答えてくれよ、俺にだってできることはあるはずだぜ?」沈黙。目蓋が重くなってきた。そのときだ…
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携帯が鳴った。弾かれたように姿勢を正す。非通知。こんな時になんだ。「もしもし?」切れた。おいおい、間違いなら謝れよな。胸のポケットに携帯を入れ、イソザキに目を落とした。「なぁ。イソザキ。あの頃が懐かしいな。」沈黙が返ってくる。「なぁ。返事してくれよ‥‥」言葉に詰まり、拳を握る。 ピピピ‥‥ 携帯が鳴った。 「いい加減にしろ‼︎」 悪戯電話では無かった。 イソザキ‥‥ すぐ行くよ。
- 完 -