ボフボフ
ぼくは、近所で飼われている犬が、人間ではないかと疑っている。
毎朝ぼくが学校へ向かう時、錆びた柵の向こうにいるあの犬は、きっと人間だ。
大きくて、ボサボサで、茶色い熊のような犬。
あいつはいつも目が合うと、ぼくにしかわからないように、小さくウィンクするんだ。
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帰りにもその犬は、ぼくのことを見つめてきて、ウィンクする。
しかし、今日はいつもの場所にはいなかった。
こんなこと今まで一度もなかった。
まさか… すぐに、飼い主のおばさんに話した。
すると、おばさんは大丈夫、用を済ませたらすぐに帰ってくるよ。と言い残したまま家に戻ってしまった。
脱走したのか?疑問が残るまま家に帰った。
少しすると、チャイムが鳴った。
そこには…
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あの犬がいた。
ぼくが失くした帽子を咥えている。風に飛ばされて、そのまま行方知れずだったのだ。
「お前、わざわざ探しに行っていたの?」
と尋ねると、得意げにウィンクした。
このことを知った母さんは「いい子ねー」と犬をなで回した。
あいつは嬉しそうに目を細め、犬のように「ボフボフ」鳴いていた。ぼくと目が合うと、「羨ましいだろ?」と言わんばかりにウィンクしてきた。……本当は人間のくせに。
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「お前、名前はあるのか?」
と問いかけながら、頭を撫でていた手で顎をそっと持ち上げてアイコンタクトをとる。
少しカールのかかった毛並みの奥で瞳がきらりと光ったような気がした。
思わず、ぼくも顔を近づける…
「あんまり引き止めちゃダメよー、きっとそろそろ帰りたいわよ」と、母さん。
「ボフボフ」と満足気に目を細める犬。
「お礼だよ」と、ぼく。バンダナを首の周りにまいて結んでやった。
人間ならば…
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感謝するなり、リアクションをするものだと思っていた。ところがそんな素振りを一切見せない。
だけどバンダナは嫌がっていないようだ。
それはちょっと嬉しかったな。
意思が通じている気がして。
「じゃあな、ボフボフ」
別の日、友達の悪ふざけで目の上を怪我した。振り回していたナップサックが、たまたま当たったのだ。
帰り道、ボフボフの前を通る。
目が合うと、いつものウインクを見せ、柵の前に近づいて来る。
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ぼくは目の上に貼った白いガーゼをボフボフにさり気なくアピールした。ボフボフはそれを認める。
人間ならだいたいはどうしたのかと訊ねるはずだ。ぼくはボフボフの行動を見守った。
「ボフボフ、ボフボフ」大きな声でボフボフはおばさんを呼んだ。
「なあに? どうしたの? あらあ、こんにちは」ぼくに気づきおばさんは挨拶を交わす。
ぼくは訊ねるべきか迷った。だが、ボフボフへの興味の方が勝り、訊いてみることにした。
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「ボフボフは…」
人間なんですか?とはさすがに聞けず、
「ええっと、ほんとはなんて名前なんですか?」
と訊ねた。
その時、ボフボフが「ボフッ」と短く鳴いた。
すると、おばさんはぼくの目の上に気がついたらしい。
「あらっどうしたのこれ! ガーゼが取れかけてるわよ。ちょっと待ってね、貼りなおしてあげる」
ばたばたとまた家に入ってしまった。
「まさかおまえ…ガーゼが取れかけてるのに気づいてたのか?」
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ボフボフは鼻先でぼくの膝をコンと突くと、ウインクしてみせた。
奥から救急箱を持っておばさんがやってくる。新しいガーゼを貼ってもらいながら、ぼくはおばさんに尋ねた。
「あの、この子の名前は?」
おばさんはボフボフの頭を撫でた。
「ボフボフよ。この子が自分でそう名乗ったの」
ぼくが目を見開くと、ボフボフは「やれやれ」とでも言いたげに短く息を吐き、喉の奥でボフッと鳴いた。やっぱりお前、絶対に人間だろ。
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中学、高校と、僕とボフボフの奇妙な友情は続いたが、大学進学を機に僕は街を離れ、その少し後にボフボフは死んだ。
帰省した際、家で見覚えのあるバンダナを見つけた。母さんが言うには、ボフボフが死ぬ少し前に、玄関先に落ちていたらしい。
(形見だ。お前がくれたもんだけどな)
そう言ってウインクするボフボフの姿が浮かんだ。
大人になった今でも、近所で飼われていた犬が、人間だったのではないかと疑っている。
- 完 -
作品情報
ボフボフ
#54227
- リレー期間
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5年1ヶ月